解離性同一性障害と診断 40代女性 治療歴1年

解離性同一性障害、性的・身体的・精神的・経済的虐待

悩み

小学3年生の時に交代人格がいると意識しました。社会人になってから人格が変わると覚えていないことが多くなり、仕事に支障が出始めました。週単位、月単位で人格が入れ替わっていたので、人格同士でメモを残してコミュニケーションをとっていました。解離がひどいので体をぶつけたり物もぶつけたりしてました。人格によって物を置く場所が変わるので、どこに置いたかわからない。解離した状態で歩いていたら何を取りに行ったか分からなくなりました。

変化

“現在の私”で生活を送れることが増えてきました。接する人によってコロコロ人格が変わる必要がなくなりました。
子どもと話をするときは、子どもからトラウマを引き出されて解離が起こっていたけれど、解離がなかったら自分の言葉で話をすると子供の目がイキイキとして、喜んでくれるようになりました。トラウマの状態で話すると「そういうと思った」と言います。
子どものやっていることと自分のトラウマが区別できるようになった。なので子供が悪いのではなく、私のトラウマが反応しているんだと分かるようになりました。自分のトラウマが解決していることに関しては、子どもの悩みも聞けるようになったことがうれしく思います。

※詳しい体験を書いてくださっています。下記をご覧ください。

(※トラウマカウンセリングを始めて11年目。COCOaruを始めて1年経過の方)

COCOaruを始めて1年が経った今。

現在、私はカウンセリング歴11年目。COCOaruを始めて1年が経つ。11年間私はあきらめなかったが、あきらめてしまう人もいるのではないかと思ったりもする。トラウマのない人生を歩んでみたいと思うかどうかが大事だと思う。

ずっとトラウマで苦しんできた私としては、今、“トラウマに左右されない人生ってこんなに楽なんだ”と感じる時が、とても幸せに感じられる。治療してよかったと思う。いつか自分に光は当たる、と信じてやり続けることが大事。

今、子どもの考え方が私と同じじゃないことにびっくりする。思考回路が似てくるはずなのに似ていない。子どもを見ていて、自分とは違うな、と感じる。母親(私)に頼って何とかその状況を変えようとするのを見て、やっと世代間連鎖から抜けられた気がした。

薬が半分に減っている。

どの本にも、一筋の光を浴びた症例がかかれていない。FB、交代人格がある人という説明の本はあるけれど、そこからの抜け出し方がかかれていない。解離から回復していく様子を、今、終着点に立ってる人(まだ道は途中だが)から見ると、こんな感じです、と伝えてみたいと思う。

解離があると、社会人になってからがとてもつらい

学生時代では、趣味のあう友人の中にいるとその人格が出てきて一緒にキャーキャー言えて、学生時代は何とか乗り切れることができる。けれども、社会人になったら苦手な人とどうしても接しないといけない。苦手な人からはトラウマを一杯引き出されてしまう。解離があるとどうしても、急に怒り出す、泣き出すということが起こるので、人間関係に問題が生じる。ひきこもりになると対人関係が怖い。人間関係が保てない、感情が保てないとなる。子どもを育てる自信がない、先々将来を思い描くことができない。自分の過去(性的虐待や人生早期の身体的虐待・精神的虐待)も忘れているからわけわからない。必死な思いで病院に行っても“うつ”と診断される。正しい診断されずに訳も分からないまま途方に暮れていた。自ら本を手にとって調べつくした。そして、自分には解決しいといけない過去があると思った。

 

FB、解離のことについて

FBの時は、訳も分からず苦しくて涙が出る。トラウマが解消されたらなんでもないことだけれども、トラウマが解消されていないと、その時目の前でちかちかと光って涙が出てくる。度重なる状況でいろんなことに反応していろんな場面でチカチカっと出てくる。

夜寝るときも苦しい。朝起きると頭がズーンとして無気力で何もできない。その時は解離しているからFBもつらいし解離になるのもつらい。

また、解離が薄れるのもつらい。現在にいることもつらいく、“解離も現在にいるのもつらい”という状態が起きてくる。どちらを選べと言われると解離ではない時の方がいい。人格の声がしない、乗っ取られないから。でも他人からの攻撃から逃れられない感じになってしまう。そうすると、直に打撃を受ける。すると、解離する。すると、FBする。すると、頭の中で声が聞こえる。その繰り返し。たいていの人がFBに圧倒されると思う。でも、解離を知った時点というのが一番つらいと思う。

FBがずっと、ひたすら永遠に続く。するとそれを頭の中から放り出したい気分になる。大きい声を出したら一瞬楽になれる、頭を壁にたたきつけたら一瞬だけFBが止められる快感、吐いている時に一瞬だけだが、吐いている瞬間はお腹の中に溜めたトラウマが出てくる気分で気持ち良いから履き続ける、というのを繰り返す。

 

一番つらかった時期

一番辛いのは、解離症状を認めて、カウンセリング始めて“数回で良くなる”と思っている時点。でも、実際は果てしなく長い。とてつもなく長い時間、費用もつらく、生活が困窮する。自分の場合は親に経済的な余力があり、親にトラウマのことを話して援助をもらいながら、県外のカウンセリングに通わせてもらえていた。けれどもその条件がそろっていない人は苦しみ続けていると思う。解離は自律神経を整って良くなると思ったが、実際はそうじゃない。渦の中にいる人は、何が悪いかわからないままずっと苦しいまま。立ち向かおうと思うとFBが出てきて、症状がいったん悪化したように思ったり、解離がふっと解けて人の前に言ったらすごい恐怖が出て“見られてる”と怖くなる。すると話しをすることにテンパり、そこで人格が保てなくなり悪循環。数年くらいはこのような状態だった。

 

いろんなカウンセリングを受ける

どんな病院やカウンセリングを探すかにもよるし、息が合うか、先生がどれだけ受け入れるかにもよる。調子が悪い時にすぐに診てもらえるか、ということも大事。FBが凄くて、恐怖の渦の中にいて、どうしていいかわからない、こわい、何が怖いかわからないという時に、どこまでカウンセラーに頼れるかが重要になる。人に頼ったこともないし、助けて、といったこともないので、どこまでカウンセラーに頼っていいかが分からない。今のカウンセリング(COCOaru)ではメールで「すみません、カウンセリングをお願いします」という感じで申し込めているけれど、以前の時は本当は毎週行きたいけれど、2週間に1回にしておこうかな、と考えながらだった。“私って行ったら迷惑じゃないですかね。性虐も持っているし、身体的暴力、心理的暴力、経済的暴力、兄弟間のいじめを持っている私は迷惑じゃないですかね”と、先生を試すこともあった。この人どこまで私を受け入れてもらえるんだろう、私ってやばい人生を送っていませんか?と試しもした。“こんなやつが来て先生には申し訳ないな”と思っていた。先生の予定が合わせられなくて「この週はダメだから、次の週ね」と言われると、人生で信頼関係を築けていないから“見捨てられた”と思ってしまい、FBが起こりだす。すると“もうやっていけない”となる。

 

子育てについて

ある程度解離が収まってから、子ども(不妊治療)を頑張ろうと思った。デパケンは胎児に障害が出る薬ということで、いったんデパケンをやめたので、その不安定さから、恐怖だった。デパケンやめて半年、それから不妊治療に入ったが、性虐があるから分娩台が無理。恐怖。子どもがおなかに宿って子どもが動き出したときも、もう無理だと思った。子どもを産む前に“子どもを褒める本”を読むと辛くなり、それにまつわる親への怒りとかFBとか、いろんなことがぐるぐる回って大変だった。

でも子供産んでしまうと、子どもに私と同じ思いさせたくないから頑張ろうと思った。子育ての本を一杯読んだ。誰にも褒められてないから褒め方もわからない。本でアタッチメントのことを知り、絵本を読んだらいいですよ、と初めて知る。良いと書かれていることをとにかく試すしかない。

カウンセリングはいつまで続くんだろう、というのがあった。でも自分の幸せのため子どもの幸せのために治療を受け続けていた。自分は良くなると信じて思って続けられるかどうかだと思っていた。

そして、子どもに「魂が抜けている」と言われて焦る。

(今日はここまで)

TOP